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永正14年(1517年)、当時の守護・土岐政房(頼武と頼芸の父とされる)が仁岫宗寿(じんしゅうそうじゅ)を招いて、土岐氏の菩提寺として開山しました。頼武の長男である頼純が天文16年(1547年)に亡くなった際はこの寺に葬られたといい、寺内には頼純の墓があります。天文20年(1551年)には土岐一族の出身で「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」の言葉で有名な快川紹喜(かいせんじょうき)が住職となりました。頼芸の作と伝わる鷹画のほか、頼純の肖像画、快川紹喜頂相などが所蔵されています。また、重厚な風格のある山門は必見です。