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歴史背景


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印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事ID:0006682 更新日:2019年10月11日更新

濃尾平野の北の端に位置する山県市。山城の画像
この地に、かつて美濃国(現在の岐阜県美濃地方)の
歴史を変える舞台となった山城があります。                                   
大桑城と呼ばれたその城と城下町は、
鷹を愛した美濃国守護・土岐氏の政治拠点として栄えました。
しかし、斎藤道三との戦いの場となり、
守護土岐氏は敗れ去ります。
大桑を舞台とした道三の下克上によって、
美濃の乱世は幕を開けたのです。
そして、土岐氏の流れをくむ武将で、
斎藤氏を排して美濃を平定した織田信長に仕えたのが、
明智光秀です。
光秀をめぐる伝説は全国各地に残っており、
山県市には、「光秀が生まれた地」と伝わる地区があります。                          
光秀は山崎の合戦で亡くなったとされていますが、
その地区では「合戦後も生きていた」と言い伝えられています。

■土岐氏と山県

 土岐氏は清和源氏の流れをくむ美濃を地盤とした武士の一族です。
 室町時代初期には、足利尊氏などの信頼を得て、美濃、尾張、伊勢の3国の守護に任命され、その後は戦国時代にかけて美濃国守護を務めました。
 その土岐氏が戦国時代に拠点としたのが、山県市の大桑地区です。斎藤道三によって大桑城が陥落し土岐氏が没落するまで、土岐氏最後の拠点となりました。
 現在も要害堅固な山城である大桑城跡や、土岐氏の菩提寺である南泉寺や氏神をまつる十五社神社、斎藤道三との激しい戦いを今に伝える六万墓など、当時の面影を残す史跡などが多く残っています。

■明智光秀と山県 

 土岐氏には多くの支流があり、光秀も土岐氏支流の一人です。光秀の出生については不明な点が多く、はっきりと分かっていませんが、山県市中洞地区には光秀の出生や晩年に関する伝承が多く残されています。
 市内には、うぶ湯をくんだとされる井戸跡や、光秀の墓と伝わる桔梗塚があり、今でも地域の人々に大切にされています。

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