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六万墓の石碑は、四国堀跡近くに立っています。 土岐氏と斎藤道三の激突は天文11(1542)年に始まります。大桑に進攻した道三の軍勢は大規模なもので、激しい戦いが繰り広げられ多くの戦死者を出しました。戦いの後、戦死者の骨が埋められた場所で、南泉寺の仁岫和尚が焼香を行い、墓石を建てました。 「六万(六萬)」という数字は定かではありませんが、それほど多くの人々を巻き込む合戦がこの地で行われたことを物語っています。