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大桑城は、室町時代から戦国時代にかけて権勢を誇った、美濃国の守護土岐氏の山城です。
天文4(1535)年に発生した長良川の大洪水により、枝広(現在の岐阜市長良公園)にあった守護所は大きな被害を受けました。当時の守護土岐頼芸は、大桑に政治的機能を移し、城と城下町を整備したとされています。
天文12(1543)年、勢力を増していた斎藤道三との間に大きな戦いが起こり、大桑城は落城、頼芸は天文19(1550)年頃に道三に追放されました。
現在、標高407.5メートルの古城山の山頂一帯には、大小90余の曲輪(山の斜面に造成された平坦地)が分布しており、また敵が容易に侵入できないよう、堀切、竪堀が設けられ、さらに一部に石垣も残っています。
山麓の城下町の入り口には、四国掘(市史跡)・越前堀・外堀という大規模な堀と土塁からなる防御施設(惣構)が築かれていたことから、大桑城は堅固な城であったと考えられています。