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伝 明智光秀の墓「桔梗塚」[平成31年2月]

記事ID:0002134 更新日:2019年2月6日更新

 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀の前半生は謎に包まれており、岐阜県内各地にゆかりの地とされるところが数多くあります。山県市もそのひとつで、明智光秀は清和源氏土岐氏の流れをくむ美濃国守護土岐氏の支流の武将でもあり、その縁から光秀の母が身ごもった際に祈ったという「行徳岩」、明智光秀の墓と伝承される「桔梗塚」があります。

 また市内にはほかにも、美濃国守護土岐氏の最後の居館「大桑城(おおがじょう)跡」が現存する古城山(山県市大桑)や土岐氏ゆかりの史跡が多く現存しています。ぜひ、歴史を感じるまちをめぐってみてはどうでしょうか。

うぶ湯の井戸跡と行徳岩(ぎょうとくいわ)

 明智光秀の生誕地として伝承される山県市中洞地区にある白山神社には、光秀の母がうぶ湯を汲んだとされる井戸があります。また、神社近くの武儀川には、光秀の母が懐妊したとき、「生まれる子が男の子なら、3日でよいから天下を取るような立派な男の子を授けてください」と祈ったと伝えられる「行徳岩」があります。

桔梗塚

 白山神社に隣接する林の中にある桔梗塚は明智光秀の墓とされています。光秀は、本能寺の変の後に身代わりとなった影武者「荒」木山城守行信に恩の「深」さを感じ荒深小五郎と姓名を改めたとされています。その後、関ケ原合戦で徳川家康に従軍しようと藪川(現・根尾川)を馬で越えようとしたときに洪水に巻き込まれ溺死しました。従者たちは光秀の遺品を持ち帰り、墓を建てたと伝えられており、現在も地域住民により毎年供養祭を行っています。
 なお、明智家の家紋は「桔梗紋」で、土岐氏の家紋「水色桔梗紋」から用いたのではないかとされており、この桔梗紋にちなんで「桔梗塚」と呼ばれるようになりました。また、山県市合併当初、市民により選ばれた市の花も「キキョウ」であり歴史が脈々と受け継がれていることを感じられます。

桔梗塚の画像
桔梗塚

行徳岩の画像
行徳岩

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